第82回東京箱根間往復大学駅伝競走5区箱根湯本
5区 箱根湯本
いよいよ往路の最終5区だ。小田原で乗り換えて小田急で箱根湯本へ、ここでも到着時間に余裕がない。11:52に小田原着、12:02発の箱根湯本行き。これしかない。もしこれに遅れたら、もう選手達に追いつけない。小田急のホームに副管理人(うちの家内ともいう)は待っていた。間待ち合わせしていた。毎年朝の通勤ラッシュ並みに混雑する電車だ。特に箱根湯本、それと小さな駅の風祭は改札が先頭部、従って先頭車両の混雑がひどい。箱根湯本駅の構造が先頭車両に乗らないと改札を出にくい仕様になっている。15分我慢だ。我慢して二人で乗り込む。去年の強行軍に副管理人はもうゴメン。お付き合いできないと言ったが今年は食事とビールをおごると言ったら、箱根湯本だけ付き合ってくれることになった。私も途中まで一人だったからこそ、こんな強行軍のスケジュールが立てられた。12:17箱根湯本着。選手が箱根湯本を通過するのは12:23だ。6分しかない。やはり湯本駅前は大混雑している。間もなく来た。先頭は山梨森本君。二位が中央中村君だ。さらに続々選手は登っていく。
東海大伊達君と 駒沢村上君 日大下重君 神奈川大森脇選手10番目くらい通過
東洋大西君
学連選抜の拓大阿部選手 國学院大武村選手12番目 早大高岡選手 亜細亜大小澤選手
前が日体大北村君、後ろが明治尾籠君(オゴモリ)
二人は西脇工業(兵庫)の先輩後輩。
順天堂今井君の写真を撮り損ねる。大失敗。残念。
20人の選手達を見送った。それにしてもカメラ初心者の私にはすごいスピードの選手を撮るのは難しい。もう少し上手くなって一眼レフを使いたい。
あーー腹減った。予定していた食堂へと向かう。去年もこの後テレビを見ながら食事をしたかったが、湯本で店が見つからず小田原まで降りて探した。今回はあらかじめ食事が出来てテレビが見れるところを探しておいた。ここで昨年の箱根駅伝で知り合った明治の先輩金井さんと合流。3人で食事することにした。お店の名前を言って来年満席で私が入れなくなったらイヤだが、いい店だったので紹介しておく。『おそね』という湯本の駅から3分くらいわき道を登ったところだ。から揚げは美味しかった。それと山芋(自然薯)は地元産、ご主人が自ら掘るらしく、これは絶品だった。
実はここで隣のテーブルにいらしゃった写真の人たちは卒業されて20年くらいの日大駅伝部OBだった。今でも部に関わっておられる方もいて、いろいろ素人の駅伝オタクの私には楽しい情報を頂いた。中央のメガネの方は確か6区山下りをを走ったとお聞きしました。右の方はマネージャーだったが4年生のとき伴走のジープに乗ったそうだ。一番左の手を顔に持っていている方は鍼灸師で開業しておられ、日大の選手の治療もなさると聞きました。ごめんなさいもう2人の方を撮影しませんでした。また来年お会いできるのではないでしょうか。
おそねのホームページは箱根観光協会のサイトにあります。
結局8人でテーブルを囲み、5区の難所からゴールまでをTVで観戦した。写真を撮れなかったが何と言っても順天堂大は今井正人選手の活躍で往路優勝。今井君はMVPにあたる金栗賞を2年連続で受賞した。
日大の総合優勝と明治のシードを皆で祈ったがどちらも果たせなかった。
ところで日大駅伝部と明大競走部は重要な因縁がある。それは明大の西さん、西駅伝監督だ。日大は32年間優勝から遠ざかっているが32年前に優勝した時のエースが西監督だ。明大競走部は長期の低迷を脱出するため、箱根駅伝の名門で出場76回、優勝12回を誇る日本大学から西さんを招いたのだ。明治大学も出場49回、優勝7回を誇る古豪だが、近年はほとんど出場すら出来ない年が続き、優勝に至っては昭和22年にさかのぼるし、昭和41年10位になって以来、一度も10位以内の順位すらない。一般に伝統校は他校から指導者を招くことはしないことが多い。そんな中、西さんに来ていただいたわけだ。日大には頭が上がらないわけだ。実は選手達の合宿、グラウンド、トラックも隣接していて、選手同士の知り合いも多い。
話は変るが、
復路は事情があって追っかけられなくなった。TV・ラジオで観戦した。大変な波乱があって亜細亜大が初優勝した。サプライズだ。ベリーサプライズだ。復路優勝も法政ということでダブルサプライズ!!。。。。戦前、法政はシード(10位以内)すら危ないという予想だった。成田監督も弱気な発言が目立った。しかし選手たちは奮い立った。見事な復路優勝だった。
また一方、ハコフリ(箱根駅伝超フリートーク=箱根駅伝ファン、オタクによる登録制の掲示板)でも圧倒的は優勝候補に挙げられていた東海大は3区でルーキーの佐藤悠基選手が区間新記録の快走をしたものの、頼みの伊達選手が体調不良もあって5区山登りに沈み、浮上できなかった。五連覇をかけて望んだ駒沢は復路の戸塚でトップにたち、10区にエース糟谷選手っを走らせた時は逆転優勝することを想像したが、これまた糟谷君が不調で、凱歌は亜細亜に揚った。
前に記述した洛南高校出身の主将4人のうち、帝京(選抜)の中尾君と明治の幸田君はまずまずの結果。(本人は不満だろうが)。これに対し復路6区山下りで専修辰巳君は59分7秒見事な区間賞、走り終えた辰巳君は復路小田原中継所でにっこり、思わず小さくガッツポーズ。思い起こせば辰巳君は予選会で、終盤故障発生で遅れだした高校時代のチームメイトで現在明大の主将幸田君を後ろから追い抜きざまに『おい!しっかりしろ』そう言って激励した。結果的に明治8位、専修はギリギリの9位で通過したことを思えば、激励している余裕はない。しかし私は専修辰巳君のスポーツマンシップ、友情を高く評価したい。そんな辰巳君は今年の箱根6区の区間賞。見事だ。夏場は故障して走れない日があった。合宿で他の選手が走る中、彼はウオーキングで足の回復を待った。故障を見事にを克服した。これに対し多くの皆さんが見たと思うが、順天堂の主将難波君は8区で大ブレーキ、1年生小野君の快走で小野君から1位で襷を受けながら脱水症状でふらふらになった。それでも何とか襷を繋いだが区間最下位でチームも4位まで後退。結果的に亜細亜大奇跡の逆転優勝を作り出した悲劇の選手になってしまった。大きく明暗を分けることになった洛南高校OBの二人の主将だ。
それにしても箱根駅伝はエキサイティングだ。逆転。逆転の連続で素人には面白かった。その中で力を発揮できずに『チームに迷惑をかけた』と泣き崩れる選手がいたことを忘れない。彼らの傷が癒え、いい思い出(無理かもしれないが)に変ることを願うばかりだ。
箱根駅伝は正月になくてはならない存在だ。これは私ばかりではないでしょう。
なぜこんなに面白いのか?
それは恐らく観る者のほとんどが全てのランナーを心から応援しているからでしょう。とかく1対1のタイマン勝負だと時に相手がこけることを願ったりするものだが、恐らく二位になった山梨学院大を応援していた人々も、『ゴール前で亜細亜大こけろ・・・』なーんて思っている人はいないことと思う。
終わった後すがすがしい気持ちになるのもその特徴といえるでしょう。
来年こそ日大の優勝、明治のシード(10位以内)を願いたい。
その前に明治は予選会だ。これを突破せねば。
また来年、箱根湯本まで追いかける予定です。 最後まで読んでいてありがとうございました。
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