『箱根駅伝』
      (先にお断りしておきますがデータなどに誤りがあるかもしれません。)  
2006・1/16一部更新

箱根駅伝は昔からぼんやり見ていました。何故ぼんやりか。それは走るだけで単調な競技だからです。また自分自身も長い距離を走るのが若いときから苦手でした。野球と比べ複雑な戦術に欠け今ひとつ興味がありませんでした。ただマラソンと比べると、駅伝はリレーすることで順位が入れ替わるため、抜いたり抜かれたりするところは面白い、そう思っていました。

横浜に仕事と生活の拠点を持つようになってから、様変わりしました。横浜東部だと国道15号線を箱根駅伝の選手達は走ります。家から歩いて15分程なのです。ヒマな正月は、散歩を兼ねて行かない手はない。そう思いました。行って見てなるほど面白い、大手町のスタートをテレビで見て、品川から六郷橋を渡る前後に家を出る。国道15号線に向かいます。15分ほどで目的地に着くとそこはもう同じ考えの人人人、皆来ています。人気のポイント鶴見中継所などは、早めに行かないと、人の後頭部を観るだけになります。また愛犬のロンを連れて行くときは比較的空いていて、自宅から最短距離の花月園前あたりが狙い目です。
目的地について待っていると、間もなく先導車が選手の通過を予告して、選手が来ます。早いの何の、素人のジョギングとは違います。あっという間に選手は通り過ぎます。その際観衆はみな通過する選手の大学名を呼んで旗を振り拍手をします。一通り全部の大学、そして選手が自分の前をあっと言う間に通り過ぎると、あれだけの人、観衆が三々五々と散ってきます。往路の場合午前9時過ぎころです。家に帰る人か初詣に行く人が多いのでしょうか。私は家に戻って、もちろん日本テレビで箱根駅伝の中継放送を観ます。あの時私の前を通り過ぎた選手達が、保土ヶ谷から戸塚へ向かい上り坂に苦しむ姿は鬼気迫ります。皆、さっき大声で声援を送った(『中央!!』『順大!!』『駒沢!!』・・・・その顔が苦しんでいます。必死の形相です。これはすごい!!面白い。そう思いました。生で目の前で見てそしてその選手をテレビで観るこの箱根駅伝に魅せられました。
そうやって毎年沿道で旗を振って声援を送る私ですが、やはりできたら再び母校が出て欲しいそう思っていました。

明治が出ていたのは1985年にさかのぼります。調べてみると、この年の1年生に牧野典彰君という選手がいて一年生ながら花の2区を走り(区間7位)総合15位(最下位)。翌年も牧野君が2区を走り(区間13位)総合15位(最下位)さらに翌87年も牧野君は2区を区間11位で走り総合14位と最下位脱出に成功。そして最終学年になる88年はを迎えます。わたしはこのころ長男(83年生まれ)二男(85年生まれ)と二人の幼児がいたころで、家内も含めて正月は私の両親の家で過ごしていまして、テレビでぼんやり箱根駅伝を見ていました。しかしこの88年ははっきりと記憶しています。スポーツ新聞の箱根駅伝特集の記事の片隅に明治のエース牧野がエース区間の花の2区ではなくアンカー起用・・・・そういう記事がありました。

1月2日3日と実家で過ごしながら箱根駅伝をテレビで見、ラジオで聞いていました。そして早めの昼食をとって12時ころ、『さあ明日から仕事ボチボチ横浜に帰ろうか』ということで一家そろってマイカーで横浜に向かいました。折角だから渋滞に巻き込まれても、品川か芝あたりで駅伝選手を見られる。アンカーの選手達だ。そう思いました。車を走らせていると、来ました。対向車線に選手です。トップはラジオでも言っていますが順天堂大。2位はかなり間があいています。何校かが私達とすれ違いました。そして芝増上寺前でMのマークをが見えました。牧野君です。先頭から数えて8番目です。確か襷をもらたときは11位とか12位と聞こえたので数人抜いたのでしょう。さすが4年生のエースをアンカーに使ってよかった、そう思いました。しかしその前に繰上げすスタートがあって正確な順位は判りません。結局明治は総合10位でした。9位が早稲田、11位が山梨学院(この年2度目の出場の新興校)でまだオツオリ選手は入学していません。そして調べて判ったのですが3年後に学生トップクラスのランナーになる進藤吉紀選手は1年生ながら8区を区間7位で走っていました。それにしても牧野選手は4年間で4回箱根に出場とは本人の努力もさることながら、出場すら難しい近年の明大競走部の中にあって、彼はは幸運なランナーだったといえるでしょう。15位。15位。14位ときて最後は10位で締めた見事な結果を残してくれました。

 牧野選手らが4年連続で箱根駅伝に出場する前は、調べてみると昭和49年1974年でした。私が入学する年です。一応受験勉強中でしたので全く記憶がありません。ですから一年生の牧野選手らが出場した85年は11年ぶりの出場だったことになります。
4年連続出場の牧野選手らが卒業し、残った進藤選手らは翌年も出場し、総合11位。翌々年66回大会はは出場できませんでした。進藤君が最終学年を迎えた67回大会で出場権を獲得、その年は進藤選手は学生トップランナーとして知られ注目されていました。一区の渡辺選手は区間9位でエース進藤君に襷を渡し、進藤選手は快走、区間賞の山梨学院大オツオリ選手に14秒ほど遅れたものの6人抜いて区間2位、総合3位で3区北沢選手に襷が渡ります。北沢選手もまた快走、鵠沼海岸あたりだったでしょうか、二人を抜いて首位に立ちました。TV放送で、強い向かい風の中を快走している姿を思い出します。北島君は平塚中継所の前で追いついてきた、本命の大東大(総合優勝本区間1位)の大津選手に交わされますが、襷を渡す直前で明治の北島選手が大津選手を抜き返し、トップで襷を4区の柳選手に渡しました。その時日本テレビの実況をしていたのは、松永二三男アナ(S49卒)で、松永さんは82回大会の予選会前の壮行会(10月16日駿河台リバティータワーで開催)の際司会を務められ、『私の実況でした。声が若いですね・・・』そんなことを興奮気味に言っておられました。
その後は後続の選手達が力を出せず、往路6位、復路15位(最下位)総合で14位でした。明治が首位で襷を渡したのは何年ぶりか、確かテレビは報じていたと思いますが、調べてみると、どうやら1961年(昭和36年)第37回大会で一区の安部喜代志選手が区間1位で首位、この年は総合5位に食い込み、翌年38回大会と39回大会で2大会連続総合2位というすばらしい成績(惜しいともいえるが)を収めています。ですから30年ぶりだった訳です。
(上記の15,6行に誤りがあり訂正しました。65回大会に明大は出場していました。06・1/16)

どうせまた来年も出られないだろうと思っているとき、インターネットの記事で『箱根駅伝に伝統のMが帰ってくる』とあるのを見つけました。2002年秋のことです。重成君は箱根予選会で個人成績10位に入り、落選校の選手の中ではナンバーワンの成績でした。そしてその年から落選校の中から学連選抜チームを編成し、チームとしての順位はつかないが、個人成績は残るという形で参加できることになったからです。そのチームには4年生の重成君のほか3年生の武藤君が選ばれました。その学連選抜チームでナンバーワンのタイムを持つ重成君は花の2区を走ることになりました。わくわくするような気持で箱根駅伝を迎えました。

往路の1月2日、私は鶴見中継所に足を運びました。明大応援団も少し離れたところに陣取っていました。中継所の方に戻ると見かけた顔を見つけました。武藤君です.
武藤央紀君3年生です。インターネットのメンバーの写真があったのでわかりました。話しかけました。『武藤君ですね。』『はい。』『地元に住んでいる明治のOBです。応援に来ました。』『ありがとうございます。』『明治が出られなかったのは残念だけど、重成君が走ることができてよかったですね、貴方も走れるといいのですが』『はいありがとうございます』『来年は貴方が中心なのでしょう』『はい、新入生に全国大会出場者(優勝校から)が入ります。頑張ります。』そう話をしているうちに中継所に選手が入ってきて、2区のランナーがスタート、重成君もスタートしました。なんだか重成君を応援しようと思ってきて、武藤君と話をしに来たみたいでしたが、大収穫でした。完全に箱根駅伝明大チームオタクになったようです。
(写真は武藤君、2003年1月2日鶴見中継所にて。2006.1月20日掲載更新)武藤君は2006年現在実業団JR九州で頑張っています。重成君は中国電力で競技を続けていて、05.06とニューイヤー駅伝を走るトップランナーです。

箱根駅伝オタクになった私は武藤君率いるチームの2003年秋の箱根での予選に期待しましたが、箱根出場権を獲得することは出来ませんでした。武藤君には箱根を走ってもらいたかった・・・・。このころか競走部の部員のホームページを閲覧し情報を得てますますオタク化が進み、来年こそと期待しました。特に入山君、佐藤君のホームページは情報の宝庫でした。

迎えた2004年10月16日は昭和記念公園での予選会、この予選会は9位までに入れば本選出場だがなんと、3位というすばらしい成績で突破。TVの前で万歳!!TVはCSの309でG+。もともとスカパーには加入していたが、この放送を見るために契約変更しました。その甲斐があっていよいよ箱根に出られる。そこで早速計画したのが、所謂『追っかけ』です。もともと聞いてはいたが調べると中々大変だ。選手を応援し沿道で旗を振る。選手が行き過ぎたら、急いで駅に戻り次の応援ポイントへと急ぐ、これの繰り返しで、鶴見中継所をスタートし、藤沢、大磯、箱根湯本と合計4箇所で応援する。そうすると全ての区間にからむことができることになります。一人ではつまらないので当然女房に付き合いを打診。この返事が以外にも『いいよ。』ありがたい。1月2日が待ちどうしい。その間にも順位予想やエントリー予想などいいいよはまり込んで行く。

『第81回箱根駅伝おっかけ観戦記』

 いよいよ、出陣
(鶴見)

1月2日7時30分起床。顔を洗ってお茶を入れ、テレビのスイッチ、始まった。第81回東京箱根間往復大学駅伝競走の放送が日本テレビで始まる。緊張が走る。一区の岡本君は力を出せるか。スタート。いよいよ始まった。さあ朝飯を食べて早く出かけるしたくをしないと、選手は都心から品川あたりに差し掛かる。早くも期待のスーパールーキー中央大の上野君が遅れる。家内に準備をせかす。鶴見中継所まで歩いて30分だ。もう出かけないといけない。気持ちが急く。準備は前夜万端整えておいた。荷物は少なくない、宿泊の可能性もあるからです。疲労を防ぐため徒歩をやめ電車を選んだ。一番近い京急花月園前から鶴見市場へ、改札をでると、人が多い、皆駅伝が目当てでしょう。国道あたりは黒山の人、国道を渡って選手がいる公園のテント村へ。テントがある公園の焚き火の前にある大型テレビのの前へ、今までラジオで様子を聞いていたが、ここへきてレースが動きはじめた。そのときテントの中から明治のエース幸田君が出てきた。偶然だ。私の隣にたって大型テレビを見ている。チャンスとばかり話しかけた。『幸田君、アオサン(ハンドルネーム)です。応援に来ました』『あっどうも。岡本どうですか?』『私も今来たところ判らない。』『あっ!岡本遅れだした。まずい』そういって幸田君はアップにいってしいました。レース前で幸田君は緊張していました。幸田君には悪いことをしたかもしれない。しかし幸先がいい、いきなり幸田君と話ができた。幸田君頑張れ、そう思ってテレビの前を離れ、レースを見に国道へ、しかしさらに人が増えている。熱気がすごい。とても襷を渡す中継のシーン何て見ることはできない。それなら次の応援ポイント藤沢へ急ぐため国道の対岸、駅に近い方へ行こうとするが、もう国道の横断も禁止、警察官に静止される。それならここでと、待つと次々と2区を走る選手が襷を受けてスタート、一区の岡本君は16位のようだ。山梨のモカンバが行く、その後どんどん選手が行く。幸田君が来た。『幸田ー!幸田ー!』と絶叫。

応援が始まった。

大きく遅れた中央大の上野君は皆に抱きかかえられえ病院に担ぎ込まれた。大丈夫だろうか。

(藤沢へ)

そうしているうちにも気持ちが急く。次にいくのは藤沢。少しでも早く行きたい。あらかじめネットで電車のダイヤを調べてある。大丈夫そうだ。鶴見市場駅に着いた。ホームに下りると家内が『あそこに仲間がいるわよ。』見ると階段のそばに同年輩のトレーニングウエアの上下を着た男性が『古豪明治復活』と書かれた紫紺ののぼりを持ている。私は近づいた『おはようございます。私も同じ思いで応援に来ました』『あなたも明治ですか、これからどちらへ』『藤沢です』『じゃ、一緒です、ご一緒させてください』道づれができた。横浜で乗り換えて東海道線へ、混んでいる。まるで通勤ラッシュのようだ。しかも駅伝ファンが半分くらい乗り込んでいる。こんなにいるのか、駅伝好きが、驚いた。仲間とレース状況を話し合う人、ラジオに聞き入り様子を伝える人、携帯のネットで速報を見る人。携帯テレビのアンテナで電波を捕らえようとする人など仲間だらけだ。本当に驚いた。この満員電車の中で、また明治のノボリと明大野球部と同じデザインのキャップをかぶった初老の4,5人がおられた。一番年長に見える方が、携帯テレビのアンテナを立て画像に見入っている。話しかけた『どうです?明治は?』『貴方達も明治ですか?幸田が順位を上げているようだよ』『そうですか、3区はエントリーは中里君でしたが?』『いや、田中だよ』当日のエントリー変更だ。『やはりそうでしたか』『そのほかにもエントリ変更はあるのですか』『6区が青田、10区が佐藤だよ』『何でご存知なんですか?』すると別のもう少しお若い方が『OB会です』『競走部のですか?』『そうです。こちらは会長です。』『恐れ入りました。じゃあ確かな情報ですね。極秘の。次はどちらへ』『藤沢だよ』『私達も藤沢です。ご一緒に』。しかしアンカーの10区は入山君から佐藤君にエントリーされていた。ずっと入山君のHPをみていて掲示板に書き込んだり、メールをもらったことも会ったので特別に応援していた。入山君には是非箱根を走ってもらいたかった。その前に大桃君もメンバーから外れていた。彼は故障でしょう。残念でした。佐藤君は4年生を代表して走ることになります。頑張れ、アンカー佐藤!!そう心で念じた。

間もなく藤沢に到着、改札を出ると御大は『どちらにいくか?』『明大のホームページによると南仲通交差点で明大の校友会が応援するとありますよ』『それじゃそこへいこう。』結局私と家内は、鶴見市場で出会ったKさんとOB会の人たち総勢8人で南仲通を目指した。
藤沢駅の改札をでてから10分少々だろうか、人だかりが見える。早くも場所をとっている。私も地元では観戦慣れしている。歩道で見るための観戦ポイントをゲットするには、選手が通過するかなり前に到着しないとダメ。こんなときは大き目の交差点が良い。選手が走る通りを交差するように走っている道路は、選手の通過2.3分前になると、車両通行止めになる。そういう交差点には必ず警察官がいるので、警察官の近くにいればよい。そろそろだと思ったら、警察官に『ボチボチ通行止めですか?横断歩道に出ていいですか?』こちらからそう聞く、そうすると警察官は『もう少し待ってください。』とか、『いいですよ、どうぞ』そういったらすぐに、横断歩道上の最前列に陣取る。この方法が賢い。
その藤沢南仲通で見た光景に私は度肝を抜かれた。明治の旗だらけ。ザーッとノボリだけで30本以上。各大学のノボリの全部の半分以上でしょう。すごかった。後で得た情報だが、このとき明治の3区を走った田中選手(2年西脇工業出)は入山駅伝主将にレース後『先輩の地元(この表現は未確認だが)藤沢は明治の応援が特にすごかったです。』そう報告していたそうです。そのことは入山君からのメールで知りました。



(写真は往路の南仲通交差点の様子、すごい人出で選手が見えるところまで出られるか心配です。)

その田中君は4人くらいの集団で私達の前を通過。大声援を受けてあっという間に通過した。ここで考えた『もし湘南高校(この交差点から1キロメートルくらい)出身の入山駅伝主将がこの3区か8区を走ったら、もっと盛り上がったかも。』そう思いました。
応援する明治の選手が通過したあと後続の間隔があいている。次は大磯で見る。急がねば、全校通過を見ると希望の電車に乗り遅れるかもしれない。他の人たちと別れ藤沢駅へ戻ることにした。


あー忙しい。小走りになる。私は夢中になると家内の存在を忘れる。悪い癖だ。早足の私に家内はついてこれなくなり、「待ってよっ!もう。」こうなる。実はこのことが最後に影響した。(本文の最後)
選手はもっと走っている、これくらいで・・・・私達も頑張って追っかけねば。そう思った。本気なのが今考えるとおかしい。

藤沢駅へと急ぎながらKさんのことを思い出した。Kさんは小田原中継所へ向かい、持っていた、『古豪明治復活』のノボリ2本のうち1本を次の4区のランナーの池辺君に渡す予定だ。そういっていたのです。『渡せればいいが』などと思いながら、藤沢駅に到着、そのまま予定の電車で大磯へ向かいました。

(大磯)

大磯駅は高台にあります。坂を下ること5分で交差点にでます。往路はその下ってきた方から見ると真正面から選手が来て、選手から見ると左折して小田原へ向かうのです。来ました。首位は東海大、やはり1区、2区で飛び出しそのまま後続を寄せつけない展開、もう復路優勝は堅いか?もしかしたら総合も、いや、やはり大方の予想では駒沢が強い、そうなのだろうか。明治の応援だけでなくレースの展開も興味津々です。『来た来た。池辺が来た!』正面から早稲田の選手と併走している。左に曲がる。あっと言う間に後姿に。『さあ箱根。』次の箱根湯本が最後の応援ポイント、ここが乗継が一番厳しい。それに大磯駅に戻るのが上り坂、中年には厳しい。後続の選手、数人に声援を送って大磯駅下の交差点を後にする。やはり仲間がいる。神奈川大のおっかけグループも共に坂を上る。20歳代の人たちにはかなわない、あっという間に先に行かれた。大磯のホームに着くと計算どおり電車が滑り込む。乗り込んで小田原へ、小田原で小田急が乗り入れる箱根登山鉄道へ
風祭あたりは大変な人出、歩道が狭いせいもあるが、人でいっぱい。そのとき電車のアナウンス『各駅混みあっているので電車が遅れます。申し訳ありません。』とのこと。一斉に『えーーーー』とあちこちから、『間に合うんだろうなー』と口々に聞こえてくる。心配をよそに電車は停車を続ける。もしここで選手が来てしまうなら、ここで声援をと考える人もいるようで、急遽予定を変えてここで下車する人もいる。すごい人数だ恐らくこの電車に乗っている半分以上は駅伝に関心がある人たちでしょう。鶴見・藤沢間を共にしたKさんは、もうこの風祭にいることだろう。池辺君にノボリを渡せるだろうか。そんなことを考えているうちに電車は動き出した。間に合うか、予定では7.8分前に箱根湯本に着くはずだが、湯本駅での混雑が予想される。箱根湯本は改札が前だけ一箇所、従って私が乗る先頭車両は特にすごい混雑のようだ。聞くところによると、この電車は選手より遅いらしい。そうすると抜かれたら終わりだ。当然箱根湯本より先の、塔ノ沢、小涌園前などは電車で行ったら選手の後ろになってしまう。

(箱根湯本)
箱根湯本着。ものすごい人、どこで見ようか?はぐれないように家内と手を繋いで、観戦ポイントを探す。駅前のみやげ物店のビルの縦型の明治応援幕がある、ここでも明治の旗が目に付く。早くも東海大が来た4年生越川選手。後続と間がある。明治はまだ来ない。14人通過したろうか。来た、尾籠君が。順天堂と一緒に来た15番目か、強豪順天堂はかなり遅れていたはず、彼一人でここまで上げたのか。それにしても順天堂の足色(競馬用語)がいい。駒沢は東海に追いつけないだろう。往路は東海大の優勝だ。まさかエースで山登りの記録ホルダーの中井君抜きでこの強さ、すごい。そうやって、声援を送っているうちに、全ての選手が通り過ぎた。もう急ぐ必要はない。もう3・40分でゴール。そう思ったらおなかが空いた。箱根湯元はすごい人出。芦ノ湖畔に行くか、小田原へ戻るかだ。久しぶりに小田原城でも行って見よう。

再び雑踏の箱根湯本駅ホームへ戻り小田原へ。私はあまり電車になれていないが、JRのスイカ、私鉄のパスネットこれは便利だ。小田原に戻ると私達は繁華街へ、ガードマンさんにファミレスは?と聞くとその先を左でバームヤンがある。じゃバーミヤンにしようということになり、そちらへ。バーミヤンもあったが、その手前に中華料理店がある。テレビで箱根駅伝の実況放送を流している。『この中華料理店に入りたい』と私が言うと、家内は『私はもう駅伝はいい、ゆっくりくつろぎたい、バーミヤンがいい』『どうせゴールまえだからラーメンを食べてテレビ見て終わったらバーミヤンに行くな』そういって家内と別れた。ちょうど良かった、先頭の東海大がゴールに向かうところ、2位駒沢が100mくらいにせまる。しかし逃げ切りそうだ。そこでラーメンを注文、店はいっぱい。当然相席。

次々ゴールへ、
すごい!!
順天堂だ。襷をもらったのが15位、区間新確実、4位だ11人抜いた。1時間10分を切りそうだ。すごい記録だ。箱根駅伝での山登りの5区、普通のランナーは1時間15.6分かそれ以上かかる。13分台でも早い。12分ならすごい。それが何と(1:09:12)区間新記録!!!! 
今井正人。2年生だ。テレビではあるが見られて良かった。でも来年はゴール付近観戦を狙おうか。次々ゴールする。尾籠君が来た。16位だ。頑張れ。繰上げスタートなしでよくここまで襷をつないだ。しかし力がある方の選手から往路に投入しての往路16位では復路は厳しい。正直ここまで厳しいものか。復路が心配だ。ラーメンを食べ終えた。勘定を払って、隣のバーミヤンへ向かう。本当にすぐそばだ。こんなに近くのバーミヤンができたら中華料理店は厳しいだろうなと自らの商売を当てはめてしまう。

バーミヤンも混んでいた。家内を探すと、いたいた。しかしまだ料理が来ていない。『もう食べ終わったの』と聞くと、『こっちはまだこない。貴方の分も軽めに頼んどいた』そういって、間もなく食事が運ばれ、それを済まして店をでた。『小田原城でもみて、帰ろうか。』本当はどこかへ泊まりたい。明日も観戦したい。しかし、一昨日小田原のビジネスホテルなどに電話をしまくったが空きがない。半分諦めだ。

久しぶりの小田原城は中々良かった。天気がよく、天守閣から城の中にある大木の向こうに海が広がる。相模湾だ。右の方に真鶴半島も見える。中々の絶景だ。博物館を見たり。ソフトクリームを食べたり。小さな動物園もある。幼い子供達をつれ、まだ老いが近づく前の両親と来たことを思い出す。長男が5歳くらいか、階段の手すりで滑って遊んでいた。遊園地の乗りものに乗った。甘酒を飲んだ。思い出が頭を駆け巡る。15年くらい前だろう。こうして昔行ったところへ再び行来るのもいいもんだ。・・・・・『かえろうか』


小田原駅へ向かう道中まだ私は諦めていなかった。旅館の看板を見つけては電話していた。3件目くらいで、『ありますよ。お二人ですね。』
『やったー』地獄に仏とはこのことか。地獄とは言い過ぎかも。部屋も狭いし安普請、しかし値段も安普請なのでよし。二人で税込み¥7500。しかも1月2日だ。安すぎて1人7500円ではないのかと、フロントで念を押してしまった。聴けば2,3分前にキャンセルがあって、絶妙のタイミングだったようだ。また、フロントの電話が鳴る『申し訳ありません満室です。』だって。こうして私達の箱根駅伝応援の旅はまだ続くことになった。家で待つロン(愛犬)ゴメンね。留守は息子と番犬??に任せよう。


復路の朝はすぐやって来た

6区箱根の山くだり

安普請のホテルはヒーターのファンの音がうるさかった。良く眠れなかった。午前七時半過ぎ、テレビのスイッチを入れると、復路のスタートを生中継で報じている。彼らが山を降りるのに一時間前後、それまでにここから近い箱根登山鉄道の風祭駅そばの小田原中継所に行って声援を送る予定だ。まだ時間がある、ゆっくりと朝食を済ませながら、各校のスタートをテレビで応援。小田原中継所は箱根駅伝のTV放送では必ず出る、あのかまぼこ屋さん(鈴廣)のところだ。全選手のスタートをテレビで見てからホテルをチェックアウト。小田原駅から風祭駅へ。ここは駅のホーム短くしかも小さい。山に向かって先頭の方にしか出口が無いので、改札口は混雑している。中継所はやはり大混雑、とりあえず営業している蒲鉾屋でお土産を購入し選手を待つ。ラジオでは記録が期待されていた、山下りのスペシャリスト中央大の野村選手の記録が意外と伸びていない様子を伝える。9時になると続々選手が中継所へ飛び込んでくる。明治の青田君2年も苦痛の表情で中継所へ飛び込み、一年の木村君へ襷を渡す。さあ、大磯へ急がねば。今襷をもらった木村君を応援するため大磯へと向かった。


7区小田原・平塚
小田原で乗り換え大磯へ、大磯駅下の交差点では、昨日に続いて神奈川大を応援するグループと出会い、挨拶。復路は往路と違ってこの交差点を直進する。優勝争いの駒沢、東海、中央、日体、日大などが次々通過、すると
遠くに見える赤っぽいランニングの選手に対し『ヒロカズー!!』と叫ぶ中年女性、私も思わず真似をして『ヒロカズー!!』とやって付近の笑いを呼んだ。そのときは気づかなかったのだが、ヒロカズ君とは宗洋和選手のことで、旭化成の宗猛副監督のご子息です。おそらくその女性は宗君のお母さんだったのでしょう。気づかなかったとはいえ茶化すようなことをしてごめんなさい。4年生にして初めて走る箱根駅伝。ご両親も嬉しかったでしょう。箱根に出るからとか、ましてやテレビに映るからではなく。息子が努力して、苦労して、夢を抱いて、そして夢をかなえられたら、親としても最高でしょう。羨ましい限りです。さあ次は昨日に続き藤沢南仲通だ。

8区平塚・戸塚

大磯に戻り、東海道線に乗り込む、そこも箱根駅伝モード。関係者もたくさん乗っているし、私のような追っかけのファンも多い。電車は朝のラッシュ並み。藤沢に着くと昨日の同じ道で南仲通へ、8区は学連選抜チームの東大松本選手が走ることが話題になっている。1万を29分台で走る東大生はすごい。

明治の辻村君が来た。下の写真。

(写真は8区辻村選手が給水を受けるところ。藤沢の南仲通交差点で)

この辺になってくるとさすがに強豪、優勝を争う大学と圏外の大学では差が開いてきた。今年は全体的にレベルが高く、往路は差がつかなかった。しかし復路には選手層が薄い大学は厳しい。明治はその選手層が薄い口だ。往路に力のある選手を走らせても16位。6区の青田君はまずまずの予定通りの走りを見せてくれたが、7区19位、8区16位という区間順位、10位のシードははるかに遠い道だ。次はいよいよ最後、鶴見市場だ。藤沢駅へ向かう。その途中で、宗猛さんがいた。誰かにサインを求めれて応じている。そこで先ほどの大磯駅の下の交差点のでのことが結びつき、ヒロカズとは宗洋和選手だということに気づいたのでした。

9区戸塚・鶴見
藤沢から横浜で京浜急行に乗り換え、鶴見へ。帰ってきた1日ぶりだ。京浜急行の電車は鶴見市場駅に滑り込み、私達も最後の応援でつい急ぎ足になる。階段を上がろうとしたところで、3mくらい前に前に見たような服を着た男性がいる。Kさんだ。驚いた。不思議な縁だ。昨日、古豪明治復活のノボリを持ったKさんとはじめて会ったところと同じ鶴見市場駅ホーム、それもまた、同じ階段脇だ。急いで追いかけ、『Kさん・・・』と声をかける。Kさんもびっくり。沿道へと急ぐ道すがら、お互い昨日分かれてからの様子を語り合った。池辺選手に渡すのだと言っておられたノボリを見事に渡したそうだ。箱根の函嶺洞門で声援を送ったそうで、あそこは車で送ってもらうか、長い距離を歩かないといけないところだそうだ。Kさんの体力と気力に感服。復路の鶴見市場は往路以上の混雑、とても中継所などでは見られないので、国道を横浜方向に向かって、鶴見川にかかる鶴見橋の上で選手を見送ることにする。橋の上も大混雑、しかし、電波が入りやすく、携帯テレビの画像の質がいい。よく見える。細井君がきた。テレビを見るとすでに明治のアンカー佐藤滋君がスタンバイししている。2日間の応援の感慨を込めて『細井!ホソイー!』とあらん限りの声で声援を送る。そして携帯テレビを見ると、細井君の力走に手を振って応える佐藤君が写る。私達の箱根駅伝追っかけは終わろうとしている。区役所前まで二男が車で迎えに来るはずだ。その車で家に帰るのではなく、私の両親の家へ年始へ向かう強行日程だ。毎年1月の2日か3日は親元へ年始だったのだが、今年はこの箱根追っかけのため、無理なスケジュールになる。首都高速に乗って、東京へ。ところが芝浦で渋滞、助手席の家内に、父の携帯へ遅れることを伝えさせる。実は翌日のニュースで知ったのだが、首都高の渋滞に私達がハマって入る時、優勝した、この時点では優勝確実な駒沢大の選手達が乗った車も、この渋滞にハマっていたのです。気持ちはわかるが、彼ら数人は首都高速道路でクルマを降りて非常階段を使って一般道に出て電車などでゴールの大手町を目指そうとしたのでした。このときは警察官に見つかって、車に戻され、結局クルマで大手町を目指したそうです。まあ何とかアンカーのゴール間に合ったそうです。

それにしても楽しい正月でした。疲れましたが充実した正月でした。しかし家内には『来年はお付き合いできないからね。』と三行半を突きつけられました。

でも来年も行きます。


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